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| ↑昭和後半の三吉神社、撮影年月日不明。写真提供:波多野様 |
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![]() 写真提供:大黒昭様 |
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三吉神社(さんきちじんじゃ) 社殿は通称 稲荷町の坂の途中、 忠魂碑の側(登り方向に向って右)に現存しております。 @(旧)高島町史(昭和16年8月5日発行)362ページより引用 明治14年稲荷町に創建される。 創建当時、菊地嘉七の病気が平癒したことを、「秋田大平山三吉神社」の御利益なりとし、 大野豊蔵付近の赤ダモの大木の下に三尺位の自然石に「三吉神社」と刻み(下の画像参照) 安置したことを創始とした。 竹島幸右衛門、松本忠吉、播磨先代諸氏協力の上、秋田三吉神社の御分霊を頂き祀った。 A町民の方々からの聞き取りによる。 その当時の小田質店で従事していた秋田県からの移住者が地元の三吉神社を分祀する形で建立され、 その昔、御払いには、高島稲荷神社の宮司様が行なっておりました。 その後、稲荷町の有志の方々(主に坂の上の方々)によって 三吉講(上・画像)として運営され、 月1回の割合で有志が集まり、御払いや食事など、会合を持っていました。 鳥居は昭和の後期に朽ちて、平成になってから取り除かれたようです。 狛犬は町内の松川様がその創立当時に寄贈されましたが、 昭和の終わりか平成の初めに寄贈者が御祓いを行ない、処分されました。 例大祭は毎年9月15日〜17日に行われ、昭和30年代までは社殿の横で子供相撲や映画の上映が行われました。 平成9年9月15日に高島稲荷神社に合祀され、現在に至っています。 よって御神体は高島稲荷神社へ移管されており、それは金剛力士に似た小さな像と巻物だそうです。 多種多様な奉納品が地元以外からも納められており、その中に「鉄のワラジ」がありました。 それは祀っていた神様を意味しているもので、主たる神様は「ワラジを履いて日本国中を歩き、土木工事を行なった神様」と 云われております。 また、「いくさの神様」、そして石碑から判断して「金毘羅様」も祀っていたと思われ、「海上安全や豊漁」も祈願したと思われます。 詳しい資料が今のところ見つからず、この程度の解説しかできません。 以上の解説に謝りを見つけた方や、その他の詳細がお分かりの方は こちらまで、お寄せください。 この度の調査協力者:大黒昭様 斉藤正博様 平野智春様 佐藤隆哉様 高島稲荷神社様 (ありがとうございました) |
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