防災活動について
3. 防災活動について

漁村に海難事故は避け難く、加えて高島は火災も多かった。明治36年(1903)の稲荷町出火(57戸焼失)、大正8年(1919)の引越町火災 (107戸焼失)等は大災害であった。家屋の密集と、水利の不便がその一因となっている。

水利については大正10年(1921)井戸組合を作り、「親井戸」から鉄管で町内数ヶ所に配水して貯水槽や貯水井戸を満たした事実はあるが、 極めて不十分なものであった。 詳細クリック→「井戸組合」
そのため、明治中期以来全町を挙げて火災組合員、更に村落ごとの消防組を設置、自衛訓練に励んだ。

海難ついては、水難救済支部を設け、60数名の同志をもって相互扶助組織を作り、万一に備えて。なお治安については、巡査駐在所を 祝津は明治28年(1895)、高島は明治41年(1908)来となっている。

昭和15年(1940)、小樽市併合によって、高島貯水池設置による上水道栓の全町配置、消防派出所の設置でまず恩恵を受けた。しかし、 町民自体も気を休めることなく、防火・防災の責務に努力を継続した。

昭和32年(1957)、町会を結成するや、その中に「防災部」を設けたのも当然の措置であろう。

しかるに、ここに思いもかけぬ事故が発生した。「野犬事故」である。昭和35〜36年ごろより、とみに野犬の増加を見、 夜間町内をはいかいして食糧をあさり、時に凶暴性を発揮するのでこれを一掃すべく、保健所の協力と指導を得て、全町を挙げてその 撲滅を図っていたが、昭和41年(1966)小学校児童が野犬に襲われ、生命を奪われるという悲しむべき事故が発生したのである。 保健所のみならず警察の協力を得て、徹底的な撲滅作戦を展開、ついにこれを一掃して今日に至る。

なお、38年(1963)来、32区長宅に防犯連絡所を開設、更に49年(1974)には「高島消防団」(第9分団)の 詰所を高島魚揚場付近に新設して、無事故を期している。

以上、新高島町史192〜193ページより抜粋。