大正後期の風俗
8. 大正後期の風俗

(1)衣・食・住について
大半は和服(着物)、漁師は(※1)厚子(あつし)、小学生は祝祭日にはかすり模様の羽織に縞の袴、式の後は紅白の餅を戴いて帰った。 食生活は、米1俵が7円前後、(※2)10円紙幣(猪)で米1俵と味噌1樽(2斗)、醤油1樽(1斗)を買ってもお釣りがきた。 住はほとんど木造柾葺き(まさぶき)平屋建てで、居問には「囲炉・いろり」、土間には(※3)「へっつい」があり、 燃料は共に薪、水は外水道や井戸から一度水桶に汲み入れ、天秤棒の両端に吊るし、担いで運んだ。 履物は下駄が普通であった。

(2)職業について
町民はおおむね漁業に従事、自家営業と雇い漁夫の別はあった。4月、弁天島の周辺までニシンの大群が押し寄せれば、 前浜は一度に蜂の巣を突いたようた騒ぎで、猫の手も借りたい忙しさとなる。 今のように機械化されていない時代なので全部手作業の体力作業。 船から上げられた魚を運ぶのにも背中に背負うモッコやカゴを天秤棒で担いだものである。

(3)交通について
高島〜手宮問は当時道路が狭く、交通機関としては客馬車(冬は馬そり)であった。 多量の物品の運送もまた馬車であったが、魚商のおばさん方はザルに魚を入れて天秤棒で肩に担いで高島から手宮まで歩いて商売をした。 小樽(まだ小樽市とは合併していない)への通勤も徒歩、生活用品の買い物などの時は、客馬車を利用することもあった。

(4)娯楽・風俗
娯楽としては芝居小屋(後の高島座:現小樽信金)が出来、映画や芝居、民謡等があった。 また盆踊り、七夕祭りも年を増す毎に盛大な催しとなった。

高島子ども風土記(発刊:昭和49年)  発刊当時 高島小学校6年 MK様
服そうですが、冬は寒いので、女の人は(※4)「赤ケットウ」を着たり、男の人は、たけも女の人のものより短く、 その下には表が「コールテン」、裏は「ケットウ」のももひきをはきました。また、「こっぱんごて」という綿のはいった手甲や、 「てっかえし」という綿をいれてさした手ぶくろをはきました。顔には、(※5)「ほんふら」の三角ぼうしをかぶり、 ゴムぐつもなかったので、わらぞうりですから、一回沖に出て帰ってくると、ぬれて砂だらけになるので、また取りかえて出かけました。 女の人は、「こんがすり」とか「めくら地」というもめんの着物にしまのある帯をしめ、さし前かけをし、 「ふんごみ(脚絆=きゃはん)」をして魚えらびをしました。

高島子ども風土記(発刊:昭和49年)  発刊当時 高島小学校4年 NY様
子どもの冬のふくそうは、今のゆかたにわたをつめたような、わたいれという着物を着た。 男の子は、洋ふくが多く、着物を着ていた人は少なかったが、女の子は反対だった。また、洋ふくを着た人は、 たいがい金もちの子どもだったそうだ。 冬になると、子どもたちはどこへ行くにも「わらぐつ」をはいた。でも、金もちの子だげは、ゴムのながぐつをはいていた。 「わらぐつ」の子どもは、つめたくて、足にしもやけができ、あかくふくれてしまったそうである。

(5)井戸組合結成
 大正12年当時の給水系統図
 (町史145ページより)

昔の高島は水の便が大変悪く、飲料水はもとより防火用水にも不便を感じる状態であった。 そのため町内の各所に井戸を掘り、木製の手押ポンプで汲み上げていた。 この井戸からポンプで手桶に汲み、かついで各家庭の水がめまで水をはこぶ「水汲み」は当時の子供たちの重要な日課であった。

その後、現在の2丁目15番地にある井戸は、水量が豊富で水質もよいことに着目し、ここから鉄管で町内の数ヶ所に配水して 飲料その他に利用してきた。

 『水源』のてん刻の石碑
 (町史145ページより)
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大正10年4月には水道組合を組織し、この水源である親井戸や配水した貯水槽や貯水井戸の維持管理にあたった。 同14年4月、これを井戸組合と改称し、初代組合長には永井政吉が当たったと記録されている。

昭和3年の調査では、井戸は28ヶ所もあったとされている。 昭和60年は2〜3ヶ所になり、現在は1ヶ所、しかも使用されることなく建物だけが残っている(下画像)。

以上、新高島町史143〜146ページより抜粋。

2004年8月7日撮影
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2004年8月7日撮影
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解説

(※1)厚子(あつし)

オヒョウやシナノキなどの樹皮の繊維で織った布でアイヌ人が衣料を作るのに利用していた。 それに似せて作った、厚い丈夫な綿織物で、それで作った仕事着を漁師が着ていた。 オヒョウのことをアイヌ語でアッツシということからきていると思われる。

(※2)10円紙幣(猪)

10円紙幣は表に和気清麻呂、裏は清麻呂を守護したイノシシを図案化してあった。 ちなみに100円紙幣は最高で表は藤原鎌足、裏は日銀本店。カマタリと俗称された。

(※3)「へっつい」

土製や石製の煮炊きをする竃(かまど)のこと。

(※4)「赤ケットウ」

毛布のこと。英語のブランケットからきていると思われる。

(※5)「ほんふら」

フランネルのことではないでしょうか。 フランネルとは布の表面を毛羽だたせた手ざわりのやわらかい毛織物(綿織物)のことで 三角巾に良く使用された。「ネル」「フラノ」とも言った。