|
高島子ども風土記(発刊:昭和49年) 発刊当時 高島小学校6年 MK様 服そうですが、冬は寒いので、女の人は(※4)「赤ケットウ」を着たり、男の人は、たけも女の人のものより短く、 その下には表が「コールテン」、裏は「ケットウ」のももひきをはきました。また、「こっぱんごて」という綿のはいった手甲や、 「てっかえし」という綿をいれてさした手ぶくろをはきました。顔には、(※5)「ほんふら」の三角ぼうしをかぶり、 ゴムぐつもなかったので、わらぞうりですから、一回沖に出て帰ってくると、ぬれて砂だらけになるので、また取りかえて出かけました。 女の人は、「こんがすり」とか「めくら地」というもめんの着物にしまのある帯をしめ、さし前かけをし、 「ふんごみ(脚絆=きゃはん)」をして魚えらびをしました。 |
|
高島子ども風土記(発刊:昭和49年) 発刊当時 高島小学校4年 NY様 子どもの冬のふくそうは、今のゆかたにわたをつめたような、わたいれという着物を着た。 男の子は、洋ふくが多く、着物を着ていた人は少なかったが、女の子は反対だった。また、洋ふくを着た人は、 たいがい金もちの子どもだったそうだ。 冬になると、子どもたちはどこへ行くにも「わらぐつ」をはいた。でも、金もちの子だげは、ゴムのながぐつをはいていた。 「わらぐつ」の子どもは、つめたくて、足にしもやけができ、あかくふくれてしまったそうである。 |
| 大正12年当時の給水系統図 (町史145ページより) |
![]() |
| 『水源』のてん刻の石碑 (町史145ページより) ↓画像クリックで拡大 |
![]() |
| 2004年8月7日撮影 ↓画像クリックで拡大 |
2004年8月7日撮影 ↓画像クリックで拡大 |
![]() |
![]() |