町福祉事業の発展
2. 町福祉事業の発展
この時期、当高島町下において特筆されるべきことは、まず町民会館建設による各種福祉事業の発展であろう。
開館早々、玄関入口に掲げられた表札は、「高島町会」「高島少年補導会」「高島婦人会」「高島交通指導班」「高島保育園」
「高島老人クラブ・福寿会」の6枚である。
戦後の行政は、資本主義経済発展に伴う社会不安解消のため、労働関係の改善及び社会福祉の増進が併進したが、これを福祉法の改善
だけについて言うならば、
昭和23年(1948)児童福祉法、昭和24年(1949)身体障害者福祉法、昭和26年(1951)社会福祉事業法、
昭和35年(1960)精神薄弱者福祉法、昭和39年(1964)母子家庭福祉法となり、前記諸事業は、いずれもこうした理念の
実現と言ってよい。
- 「高島町会」
戦後、市内には、数多くの町内会組織が結成されていたが、高島町会は比較的遅い昭和32年(1957)に、
町内の盛り上がる声を背景に誕生した。
北高島、南高島、高島本町に存在する町民約1,200名(世帯)が賛助して結成され、その第一歩を歩み始めた。
高島漁港の第2期工事早期着工の陳情、高島中央線道路の舗装、野犬対策、高島会館建設、保育園開設、児童公園造成、水銀灯新設、
廃品回収、牛川の暗渠、除雪対策、中央バス本線への通し運行、様々な郷土文化の発展促進、青少年の健全育成、老人福祉の推進、
地元小中学校・消防団など各団体に対する協力、その他、様々の活動は高く評価されている。
- 「高島少年補導会」
昭和34年(1959)皇太子ご婚礼の年に誕生。「月光仮面」にひかれてのテレビジプシーや週刊誌の漫画に刺激される
ローティーンへの『愛の鐘』運動で、事務局長は平野新龍氏、子供の年中行事の『七夕祭り』『ドンドン焼き』なども
改善して、翌年道教委からモデル地区の指定を受け、
昭和46年(1971)町会の青少年部に移行する。
- 「高島婦人会」
昭和37年(1962)高島町会婦人部より独立して結成される。町内婦人の親睦と向上を目的に、会員約900名が参加、
初代会長は五十嵐ハナミ氏。主な事業内容は婦人大会の参加・婦人運動会・敬老会・慰霊祭・災害見舞・保育園・お別れ会・
老人クラブ・交通指導会・助会運動などの協力を実施。創立10周年記念行事として町会に放送設備一式、20周年記念行事として
高島会館台所備品などの寄贈を行った。
※町及び市の民生・福祉事業に協力し、小樽市「潮まつり」が創始されるや揃いの浴衣姿で多数参加、
当町出身の米谷祐司氏作詞の「潮音頭」で市中に練り込めば、男はまたのぼりを立てた船団の港内パレード
「潮わたり」に参加する。― ひとつなぁえ〜 日和岬の灯りに映えて 港小樽は夢を呼ぶ… よっつなぁえ〜
夜明けほのぼのマストに朝日 出船入舟万万歳 ―は、まさに高島町民の意気ぴったりである。
- 「高島交通指導班」
昭和35年(1960)「自動車愛好会」としてのドライブクラブであったが、ようやく増加し始めた車と歩行者の安全を図るため、
昭和38年(1963)更に町内有志者を加えて結成され、定時に出勤し奉仕に当たる。
初代会長は初瀬洋助氏。主な事業内容は会員親睦に関すること、会員及び自動車免許証を有する者の研修・法規・運転技術向上の
ための講習会・講話会の実施、幼児・学童・一般歩行者への交通指導・保護などである。
- 「高島保育園」
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- 「高島老人クラブ(福寿会)」
昭和38年(1963)8月末から結成の準備を進め、昭和39年(1964)8月発足。会員数146人、飯田町会長を初代会長に推し、
運営委員長斎藤文吉氏、毎月1回の誕生会、祝賀演芸会、毎年の新年交礼会、観桜会・観楓会及び慰霊祭、
教養行事として講演会、米寿会を実施。昭和52年(1977)からは春秋の旅行会及び市老人スポーツ大会にも参加、
また、高島児童公園と神社周辺の清掃奉仕も実施している。
昭和56年(1981)町会館に洋式トイレ2個を寄贈、昭和57年(1982)電気湯沸器新設に伴い費用の一部を寄付。
昭和59年(1984)9月、20周年記念式を挙行、20年の歩みを刊行、
同年道老連大会で当クラブその当時の会長、菊地富士三氏が表彰される。
余生楽しい高島町として今日に至る。
市内数多い老人クラブ、それぞれ「わがクラブこそは!」の誇りを持っていることと思うが、福寿会もまたその一つである。
以上、新高島町史190〜192ページより抜粋。