町会館の建設と保育園の経営
6. 町会館の建設と保育園の経営

この間、町会は飯田健一郎氏を2代目会長に選び、『町会館』建設に意欲をかき立てていたが、 幸いにも昭和37年(1962)中央線沿い「診療所」下に170坪の適地を得て150万円で買収、 翌38年(1963)9月木造モルタル2階建て110余坪の会館を670万円で建設した。 こうして高島町の近代化は大きく前進するのである。

2006年10月25日撮影
現・高島会館
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2006年10月25日撮影
現・高島会館
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※その後、『町会館』は平成11年、診療所向いの5丁目1番4号の地に新たに建設される。 左、二枚の画像が現在の高島会館です。 工事費1億2000万円(町民の絶大な協力による)、ホールは小樽市内の各町会館の中で最も広い。 (以上、町会理事ST氏からの情報による)


会館は、町民の冠婚葬祭に利用して貰うほか、町内各種団体の会合の場として使用しているが、他に見られない特色の一つには 町会運営による『保育園』を開設したことである(園児約60名、保母3名)。 市立高島保育所は、昭和32年(1957)の開所で、たいそう町民に喜ばれていたが、定員60名であるため、 希望者の一部しか入所できなかった。その悩み解消のための町会の英断だったのである。 各方面の指導を受けながら順調な経営を続け、昭和41年(1966)、市支所庁舎(※現在の町会館所在地)の 隣に庁舎の一部を増改築して(旧)会館より移転(工事費330万円)、園児数も100名となり、45年(1970) 更に遊び場の拡張、教室の増設を行い、園児数を120名として今日に至っている(昭和61年現在)ことは、誇りに値することと考えている。
※その後、『保育園』は少子化と新町会館建設用地となったことで、 平成10年に閉園した。『保育園』の運営費は市からの助成金と園児の親からの通園料で賄われていたが、 年々親への負担額が増大した。後年の運営は町内会の多くの方々がボランティアで手伝っていた。 (以上、町会理事ST氏からの情報による)

「市立高島保育所」も平成14年(2002)新築・移転した赤岩保育所と合併、 高島町民児童は赤岩保育所を利用している。「市立高島保育所」跡地は現在、町会館駐車場として利用されている。

高島子ども風土記(発刊:昭和49年)  発刊当時 高島小学校6年 MK様
また女の子は7〜8才ぐらいになると守り子といって、子守りに出されました。しかし、いそがしくなると守り子のいない家庭などでは、 3年生か4年生ぐらいになると、下の弟妹をおぶって学校へも行きました。それこそ、弟妹がうるさくて勉強もまんぞくにできなくて、 廊下で遊ばせたり、途中で家に帰ったりしました。 ― 中略 ― 私は「昔の人たちは、子どもの頃からたいへん働き者だったんだなあ」 と思いました。

上は明治末期から大正期にかけての高島の実情、そうした事態への対応として「保育所」の設立があったのであるが、 加えて町の自主的運営による「保育園」は、幼児教育の充実としての意義も大きく、その健全な発展を希望する(昭和61年現在)。

昭和38年(1963)は、ニセコ・積丹・小樽海岸が国定公園に指定され、その年の11月小樽市民会館落成祝賀会の時の 記念品が「赤岩の景勝」を図案化した風呂敷だったことも忘れ難い。

以上、新高島町史186〜187ページより抜粋。