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NO.1 置き屋 ― 解説 ― 明治32年頃の写真です。 1階は蕎麦屋、2階が置き屋です。 元は中一西川商店が「高島場所運上屋」を経営。 場所は現在の石谷牛乳販売店の辺りです。 ※写真提供:大黒昭様 |
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NO.2 鉄道軌道 ― 解説 ― 昭和20年代、手宮方向へ向かって撮影されたもので、 画像後方に日本製粉小樽工場が見えます。 バス通りの1本、山側の小路です。 小樽漁業株式会社(明治44年8月創立)は、高島海岸の将来は、 小樽港の延長として工業地帯あるいは倉庫、荷揚げ場としての 役割を果たすものとみて、大正5年、カヤシマ及びポントマリ壁下海岸線 (さき〜ニップン前の浜)の埋立工事に着手しました。 それと同時に、手宮駅からの鉄道軌道の延長工事も行なわれました。 NO.3へ続く・・・ ※出典:新高島町史 (昭和61年、高島町会発行) ※写真提供:大黒昭様 |
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NO.3 鉄道軌道 ― 解説 ― NO.2とは逆の方向の撮影。 現在の北日本冷蔵製氷会社のあたりには、 木造船の造船所や製材所があったので、ここまで線路が延長され、 貨車による原木の運搬、石炭、冷凍魚の輸送に利用されました。 ※現在、すでに撤去されております。 ※出典:新高島町史 (昭和61年、高島町会発行) ※写真提供:大黒昭様 |
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NO.4 紙芝居 ― 解説 ― 昭和20年代半ば、場所は日根工務店向かいの水産試験場跡地です(現在、高島3丁目)。 奥に見えるのは魚の干場で、写っている魚種はスケソです。 紙芝居を見るためには、紙芝居のおじさんから水飴を買わなければなりません。 演目は月光仮面や黄金バットでした。 ※写真提供:大黒昭様 |
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NO.5 バス亭 ― 解説 ― 昭和20年代のバス亭の様子です。 その当時はここが終点で3丁目バス停はありませんでした。 これに代わる現在の2丁目バス亭はもう少し手宮よりです。 現在、向かいにある電気屋さんはありませんが クリーニング店は営業しています。 ※写真提供:大黒昭様 |
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NO.6 申せ申せの出現(2-@) ― 解説 ― 画像は昭和20年代のものですが、 昭和15年発行の高島町史によりますと 昭和13年の冬、全道で50万人の感冒患者を出し、 高島も小学校が休校になるほど伝染、流行しました。 高島のオナゴショ(おばさん達)はお払いの目的で 「申せ申せ念仏申せ」と唱えながら 町内をまわりました。 ※写真提供:大黒昭様 ― 坂井肇様からの情報 ― 5〜6才の頃の記憶の中にどうにも分からないことがあったのです。 婆さん達が大勢で長いロープのようなものを持って、大きな声で「もへもへもへよ、ああもへもへもへよ」と言いながら家の中まであがってきて、全部の部屋を歩き回って出て行ったのでした。 おっかなかったと言う記憶があり、あれはいったい何だったんだろうと思っていたんですが、これなんですね。 「もへもへ」ではなくて「申せ申せ」なんですね。然し婆さん達の発音は「もへもへ」と聞こえました。 70年近い昔の記憶ですものね。 情報提供:坂井肇様(高島出身・現在 札幌在住) (貴重な情報をお寄せくださいまして、ありがとうございました。)
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NO.7 申せ申せの出現(2-A) ― 解説 ― この画像も昭和20年代のものです。 NO.7同様、昭和15年発行の高島町史によりますと 「申せ申せ念仏申せ」の出現は明治時代より 疫病払いとして年中行事にて、あるいは盛夏に 繰り出される事もありました。 ※写真提供:大黒昭様 |
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NO.8 大根収獲 ― 解説 ― 昭和20年代半ばの秋の「だいごんとり」の様子ですね。 場所は現在の新高島トンネルが通っている山の上です。 後方は小樽港で、北防波堤が見えます。 高島の漁港工事はこの4、5年後着工しました。 ※写真提供:大黒昭様 |
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NO.9 高島劇場 ― 解説 ― 昭和30年頃、経営者が代わり、そのお祝いの花輪が飾られています。 昭和25年に開館、地元青年団演劇研究会の発表の場でもありました。 私も祖母に連れられて「ゴジラ対モスラ」などの映画を鑑賞しました。 昭和30年代後半に閉館、その後、スーパーマーケットが開業しましたが、 まもなく昭和39年に撤退、 昭和40年、それまで真向かいで営業をしていた小樽信金高島支店が この跡地に移転しました。 (その後、小樽信金は平成17年10月にバス通りの寿司店跡に移転) ※写真提供:小樽市高島出身 山川初雄様 (貴重な写真を御提供くださいまして、ありがとうございました。)
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NO.10 高島の浜 ― 解説 ― 写真提供者、吉村様のお兄様が 昭和30年頃にダイキの山の上から 茅柴(かやしば)岬 に向って 撮影したものです。 高島漁港工事が始まって 間もない頃でしょう。 ※写真提供:小樽市高島出身 吉村様(旧姓高松様) (貴重な写真を御提供くださいまして、ありがとうございました。) |
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NO.11 高島楽友会 メンバーの在りし日 高島楽友会とは― 佐藤隆哉様からの情報 ― 三味線を持っているのがうちの爺様。 三原隆安さん(写真左・故人)は子供の頃、私に名前が似ていると言う事で、随分可愛がって貰いました。 横山文治さん(写真左から2人目)は、昔はちょうどうちとヘアーサロン笹浪さんの真ん中位の牛川に掛かった橋を渡った所に家が有りました。 本間幸夫さん(写真左から3人目)は稲荷町の坂の中腹あたりに住んでます。 この三人は親父の楽友会の仲間で、酒を飲んで酔っ払って撮った写真だと思われます。 写したのは多分、初雄おじちゃん(山川初雄様)でしょう。 オレの子供の頃は、楽友会の活動も活発で、高島祭りは言うまでも無く竜宮神社祭、古平にも遠征して奴を振っていました。 高島祭りの時は、縁起が良いと言う事で、隆安おじちゃんが家の中に入ってきて槍の様な物を横にして振っていってくれました。 神楽も正月の他一度舞を披露しそれを見た記憶が鮮明に残っています(管理人も記憶に残っています)。 ※写真提供:小樽市高島在住 佐藤隆哉様 ※写真撮影:小樽市高島出身 山川初雄様 (貴重な写真を御提供くださいまして、ありがとうございました。) |
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