高島楽友会
14.高島楽友会

「高島楽友会」設立までと、その解散に至るまでの変遷
明治30年頃 「伊勢岩戸神楽」が新潟県北蒲原郡より伝来する。
大正時代 「伊勢岩戸神楽」の継承者により「高島神楽団」が組織される。
昭和6年10月 「伊勢岩戸神楽」の継承が危ぶまれたが「高島楽友会」と組織を改め再出発する。
平成5年 惜しまれながら解散する。

「高島楽友会」再建当時(昭和6年10月)
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「高島楽友会」再建当時(昭和6年10月)
「高島楽友会」メンバー(昭和の中頃)
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「高島楽友会」メンバー(昭和 年頃)

「伊勢岩戸神楽」が高島に伝来したのは、今から約70年前の明治30年ごろで、 新潟県北蒲原郡松塚村字村松浜で古くから継承されていた伊勢(三重県)の岩戸神楽が、 海上の安全と大漁を祈願する漁村の神楽として、信仰とともに舞われていたものが 伝えられたと言われています。

当時、この神楽を十代のころから習得した村松浜の漁師平野新次郎が高島に移住し、 若者を集めて舞いを教えたことに始まったと言われております。 その頃、伊勢の国、松本(三重県四日市松本町)から正調伊勢神楽を舞う人が高島を訪れた折りに、 この神楽の神秘的で調和のとれた舞いを披露したところ、「この北の地にも正調伊勢神楽あり」と絶賛したといいます。

これによって、住民の間で神楽舞に対する認識が深まり、平野新次郎に師事する若者の数が40名を超えるほどとなりました。

大正時代に、この神楽の継承者によって『高島神楽団』が組織されました。 笛、太鼓に合せて、勇壮な中にも古風な味わいのある舞いは、大漁祈願や祭典の神楽として各地からの要請を受け、 数多く「奉納舞い」を演じたことも記録に残っています。

しかし、この頃から、漁が不安定になり、団員の中には季節的に出稼ぎで生活を支える者も多くなりました。 このままでは伝統のある伊勢神楽の継承が危ぶまれるということで対策が協議され、 昭和6年、本間亀松氏を会長とする『高島楽友会』と組織を改め、再出発することとなりました。

ところが、やがて始まった日中戦争、そして第2次世界大戦で多くの会員が応召され、楽友会の活動も困難となりました。 それでも、終戦と同時にかつての同志が集まって楽友会の再建をはかったのであります。

しかし、かつての若者たちも老域に近づき、ともすれば会の出足も鈍りがちとなりました。 せめて古老の生存中にと、正調伊勢神楽を後世に伝える継承者の選定をすすめ、練習を重ねていましたが、 平成5年、遂に解散せざるを得なくなりました。

【歴代会長】
初代:本間亀松
歴代:本間達也、本間亀次郎、江端藤重

【舞い人】
初代:平野新次郎
2代目:本間亀松
3代目:本間亀之丞
4代目:有田政吉

【舞い唄】
初代:伊藤甚作
2代目:須貝由一

【太鼓】
初代:伊藤甚作、須貝由一

【笛】
初代:伊藤五郎
2代目:高橋徳光
3代目:本間亀次郎

以上、新高島町史改定増補版442〜444ページより抜粋。