高島七夕まつりの記録 昭和50年(1975)
資料提供:大黒昭様
※解説文は大黒昭様の資料を、そのまま引用しました。
※昭和49〜51年は、まだビデオが開発されていなかったので、8_カメラで撮影したものをコピーしました。
  そのため、解像度が低くなっております。御了承下さい。



息子(環・中一)は妹(睦・5才)のために
「金魚」のヤマを作ることになった。
 

図鑑で形を確かめ、設計図を描いてから作り始めた。
 

曲面に丁寧に紙を張った。
 

染料の赤を塗った。
 

姉(恩・中三)は、ヤマの台に『パトラッシュ』の絵を描いた。
 

妹(睦・5才)は、嬉しくて、ヤマを持って、近所を回ってきた。
 

小さなヤマも、たくさん参加していた。
 

新正寺の境内では、
 川口雅也ちゃんたちが大きなヤマを作っていた。
 

このヤマは、垂木を何本も束ね、
割り竹を細かく巻き付ける方法で、
灯りをつけないヤマである。
 

昔はヤマをぶっつけあう「ケンカヤマ」が
この方法で作られた。
 

出来上がったヤマの名は「いなり町ブギ」であった。
 

コンクールの審査会場の公園には
たくさんのヤマが集まってきた。
 


 

町会役員と一般から選ばれた審査委員が
ヤマの形、色、子供らしさ、工夫してある
ところなどを見て、審査した。
 


 


 


 


 

いよいよ、町内パレードに出発。
当時は明るいヤマは少なかった。
 


 

途中から雨が降ってきたので
審査の発表と表彰は
舎(集鱗市場)の中で行われた。
 


 

好評する柳沢さん
 

「金魚」のヤマは、昔のように、総てローソクの
灯りを使ったが、明るくて美しかった。
 

審査を発表する上田さん
 

表彰式
 

 
 

記念写真
(ピントが合っていませんが) 
 

ヤマを焼いて
やっと夏休みが始まった。