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高島子ども風土記(発刊:昭和49年) 発刊当時 高島小学校2年 KY様 わたしの、ひいじいさんは、大正2年に赤岩にきて、すみついたといいます。その時のしごとは、さかなかすをつくっていました。 高島と手宮のはまから、さかなをかってきて、それから小樽でかまぼこをつくっている家から、さかなの頭とほねを買ってきて、それを 大きな大きな、かまでにて、それをしぼってから、こんどは外のかんばで、むしろの上にひろげてほします。雨がふると、むしろを まるめて、大きなそうこにしまいます。それはぜんぶ、人の手と馬車でやっていました。 ― 中略 ― しょうわ6年に、 さかなでソーセージを日本で一ばん先につくりだしたそうです。 |
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高島子ども風土記(発刊:昭和49年) 発刊当時 高島小学校3年 MT様 赤岩海岸の上にすんでいるしんせきのおじいちゃんに聞いた話 ― 大正の終わりごろの赤岩は、本田ざわとよばれていました。 そのころの家は、70件ぐらいで、すんでいる人は、二百人ぐらい、ちょうど今ののうかのように、家が点々としていたそうです。 赤岩をひらいた人は、松田さんという人で、今の赤岩神社も松田さんがたてたものだそうです。赤岩にすむほとんどの人は、 ブタのせいさん、馬で運ぱん、魚かすのしょりなどの仕事をしていました。朝は四時頃におき、夜は八時頃まではたらいて いたのだそうです。今の赤岩マンションや、ことぶき湯などの大きなたて物がある所は何もなく、広々とした魚かすのほしばでした。 道路は石ころのでこぼこ道で、まわりはほとんど草わらで、小鳥がさかんにないていたそうです。 今のふたまたから山口商店までが赤岩本通りとよばれて、今のくすりやさんのところに小畑商店、今もあるえんどう商店の 二けんぐらいしか店がないので、かいものはみんな町まで出かけたそうです。 ― 後略 ― |