明るい町・開かれた町
7. 明るい町・開かれた町
こうした動きに呼応して、昭和45年(1970)町民生部は、更に町内主要道路19ヶ所に水銀灯を増設し、
町民の安全と近代化を進める。
『知床旅情』の歌声の流れた昭和46年(1971)、また町会青少年部は一仕事を果たした。町に平地の少ない悩みは前述したとおりで、
そのためにこそ3年の歳月のかけた町民の奉仕によって立派な小学校グラウンドを造ったのだが、何分にも海岸通りからは遠い。
そこで注目したのが稲荷神社の裏山である。南北高島の境界にも当たり、かつ眺望もよい。なかなかの大工事であったが、
小樽市の絶大な協力により、ここに『高島児童公園』を造成、保育園の運動会をはじめ、七夕祭り、
さては町民の盆踊りまで利用して、健全娯楽の場となっているのである。
なおこの期の特記事項としては、昭和41年(1966)北日本冷蔵製氷工場が建ち、魚介・マトン・水産加工の冷凍・製氷を開始、
さらに魚粕業者8人、水産加工会社9人により、昭和43年(1969)小樽フィッシュミール協業組合が結成され、その工場が操業開始、
昭和45年(1970)高島防波堤突端に灯台設置、昭和47年(1972)赤岩海岸に自然探勝路を開削、同年、赤岩郵便局開設などのことがあり、
更に昭和48年(1973)3月から、かねて町会から陳情中の中央バス本線への通し運行(高島3丁目〜桜町)が実現して、
小樽市中心部との距離感が希薄となり、昭和44年(1969)の町名改称(南・北・西から1〜5丁目に)もあって、
郊外感が払拭されて北小樽の中心街となったのはめでたいことと言うべきであろう。
以上、新高島町史197ページより抜粋。