漁業の発展
5. 漁業の発展

昭和34年(1959)、皇太子ご婚礼に内外の熱いまなざしが注がれ、岩戸景気にわいた年、終戦第4回目の地方統一選挙が行われ、 道は町村金五知事、前市議島本虎三氏は推されて道議に立候補して当選、安達市長は3選を果たし、市議には渡辺徳次郎氏、 姉妹町赤岩からは尾田正治氏が共に当選、それぞれ地域振興のために尽力する。 なお、島本虎三氏は翌35年(1960)11月の衆議院議員総選挙に当選、社会党145人の中の一人として(自民党296人、民社党17人) 赤じゅうたんを踏む。彼はまぎれもない生粋の高島っ子で、婦人もまた高島の女、以後、国会議員を5期、公害防止と福祉行政に 大きな足跡を残して退任、(注)現在なお仁木町長として活躍中(新高島町史発行当時の昭和61年現在)であることを、 郷土の誇りとして付記する。
(注)島本氏は昭和54年仁木町長就任、同62年勇退、平成元年11月ご逝去、享年89歳

ともあれ、こうした人々をよりどころとしながら、町会及び漁業組合の熱望したのは高島漁港第2期工事の早期着工であった。 当時は日ソ・米中間にも特別な確執なく、遠洋漁業もおおむね順調に発達し、漁船もまた漸次大型化しつつあったからである。

高島子ども風土記(発刊:昭和49年)  発刊当時 高島小学校5年 AY様
― 八幡豊信様から「北洋漁業」について聞いた話 ―
「うちの持っている船は、母船式底びき漁業と呼ばれていて、他にはけいそん流しあみ漁業と呼ばれている漁業もあるんだよ。」
「母船式底びき漁業と言うのは、独航船でとった魚を、母船ですぐ食べられるように加工するやり方の漁業だよ。」
「それは昭和34年ごろから始められ、ベーリング海で行われているんだよ。」
「母船は昔、8千トンだったけれど、今は1万5千トンもあって、450人位の人が乗っているんだよ。」
「独航船は昔、60トンから70トン位で、今は90トンから120トン位だ。18人から20人の人が乗っていて、高島から出航する船は15、16そうだよ。」
「以西船というのは昔からあって、今は150トンから400トン位で、2そうの船でいっしょに網をひいて、魚をとる船だよ」(以下略)

その他、100トン未満のえびかご船、はては独航船トロールまで出て来て、装備、また無線機はもとより魚探・方探・レーダーも備え、 30年代から40年代にかけての高島遠洋漁業は最盛期を迎える。しかし、漁港第2期工事は40年代になってからとなり、 最終の南防波堤110メートルは、昭和47年(1972)完成となる。

参考画像クリック 高島漁港

以上、新高島町史185〜186ページより抜粋。