教育の振興
4. 教育の振興

昭和32年(1957)〜33年(1958)ごろは、いわゆる「復員っ子」の学齢期に当たり、各学校共に児童増となり、 教室不足に悩んだ時期であって、我が高島小学校も昭和33年(1958)4月、1,682名という大所帯にふくれ上がった。 しかし、かねてこのことを予期して準備を進めていた北山中学校の新築が33年(1958)完成して移転、 こうして末広中学校と共に北部の名門として多数の人材を世に送り出す。 昭和22年(1947)来、閉鎖されていた北手小学校が復活して通学区の移動があったので、300余名が別れを惜しみつつ転校し、 ここに北小樽における学校網は一応の完了をみた。東京タワーが完成し、初めて1万円札が発行された年でもあった。

翌34年(1959)、青少年対策として『高島地区少年補導会』(事務局長:平野新龍氏)が結成され、郊外生活の善導を推進すれば、 小学校また奮起して、35年(1960)全道放送劇コンクールにて優勝、更に少年少女鼓笛隊を編成して、町行事及び全市、 全道行事にも参加する。

こうして昭和38年(1963)開校80周年に当たり、郷土の歴史・産業物産展に今昔の感を新たにすると共に、未来に備えて理科・体育研究を 全市に発表する。

以上、新高島町史184ページより抜粋。