道路の改善
3. 道路の改善
まず道路について言えば、昔から高島町は、火山岩・火山砕屑岩による海食崖地帯で、平地は牛川の流域と海岸線に沿う底地のみであり、
その狭い地域にニシン豊漁のころ形成された町なので、家屋が密集し道路は狭く、且つ、隣町へは岬にさえぎられ、急坂を上下し
遠回りしなければならないほど、交通上の不便が多かった。「自動車化」が急速に進む今日、これは町発展の一大ネックである。
町会はまずこれを解決するため、牛川を暗渠として道路を拡幅し、更に舗装して車両の通行を便利にすること。
並びに道道小樽海岸公園線をトンネルの掘削並びに舗装によって完成すること等を、
それぞれ関係機関に陳情することに努めたのである。
幸いに両者とも採択され、昭和32年(1957)『高島遂道』(290メートル・工費2,963万円)、
昭和34年(1959)『祝津遂道』(191メートル・工費2,182万円)は1車線ながら貫通した。
思えば『高島場所』開始以来300年、明治初年の郡村制から数えても90年、行政区を同じにした姉妹町が、今最短距離の車道で結ばれ、
有楽町ならぬ「豊井の浜で会いましょう」になったのである。
※その後、『高島遂道』『祝津遂道』は高さ・幅員ともに大型車のすれ違いができないほど
狭いため、その山側に『新トンネル』工事の建設が始まった。
『新高島トンネル』の着工は昭和60年8月、竣工は昭和62年12月、それにともない旧トンネルは閉鎖される。
(以上、年度は小樽土木現業所からの聞き取り調査による)
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閉鎖される前の旧高島トンネル(第三回町民文化祭:波多野様の作品)
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閉鎖された旧高島トンネル(平成15年、海上から撮影)
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閉鎖された旧高島トンネル(平成15年、北冷裏から撮影)
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建設中の新高島トンネル(高島十字街から撮影、新高島町史より)
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新高島トンネル(平成16年10月31日 撮影)
更にまた、これを手宮町への接続について言うならば、大正年間以前は、ポントマリの断崖に迫り、小径はあったが荒天の際には波に
洗われて危険、そこで末広中学校前に通じる稲荷坂の急坂が主要道路で、背負い子あるいは天びんで重荷を背負い、
営々(えいえい=一生懸命一つのことに励む様子)と往復した
ものであった。それが明治36年(1903)、昭和2年(1927)、昭和11年(1936)と海岸道路を拡幅し、
昭和32年(1957)舗装、同54年(1979)拡幅して今、
坦々(たんたん=平らに続く様子)たる舗装道路を車で疾駆(しっく=車などに乗って早く走る様子)するのである。
牛川暗渠による高島中央線舗装は、年次計画として34年度(1959)は150メートル、35年度(1960)は100メートルと進み、
38年度(1963)には高島小学校までの1200メートルが実現する。こうした中で自動車の往来もしだいに増加し、それに伴って交通事故の
発生も心配される中で「小樽北区自動車愛好会」 ― 後の交通安全協会 ― が昭和35年(1960)に結成され、併せて街灯新設等による
街を明るくする運動が開始される。
以上、新高島町史183〜184ページより抜粋。