関連施設の近代化
4. 関連施設の近代化

なおこの期、当町に関連深い小樽市の施設としては、姉妹町祝津の高島岬にある「日和山灯台」を昭和28年(1953) 15万燭光・到達距離35キロに改造、映画『喜びも悲しみも幾年月』のロケーションに使われる。 更に「忍路高島及びもないが〜」の『追分節名歌碑』が昭和28年(1953)鈴木翠軒の雄渾な筆跡で刻まれ立つ。

昭和29年(1954)小樽市が国際観光都市に指定されてから、 更に銀鱗文化の昔を忍ぶため、桜1丁目の平磯岬上に水産記念館(銀鱗荘)を開館。 そして31年(1956)には色内3丁目の旧日本郵船小樽支店を博物館として開館し(1985年に色内2丁目の旧小樽倉庫に移転)、 昭和33年(1958)、北海道大博覧会の海の会場として設立された祝津の水族館が、昭和49年(1974)に現在地に移転改築し 公社と発足し、昭和35年(1960)ニシン御殿と共に小樽市観光の目玉となっている。

その他、厩岸壁の石油タンク、高島4丁目の煤田山上には小樽無線電報局アンテナがあり、同所付近にNHK、HBC、STVの テレビ塔が立ち並び、郷土出身力士、元関脇『高鉄山』のシコ名源となっているとも言われている。

この期の町民の生活は、各企業が会社組織を作り、就業構造がサラリーマン化する中で、公務員をはじめ給料生活者の賃金も少しずつ高まり、 インフレ昂進の中でも、少し息のつける状態となる。しかし、『働き者の高島』の気風で、婦人もまた家事以外にパート作業への出勤が 見受けられた。

ラジオから流れる『ゲイシャワルツ』、『お富さん』、そしてテレビで『力道山』が人気の焦点となるころ、忘れられないのは 29年(1954)15号台風である。青函連絡船「洞爺丸」の転覆、死者、行方不明者1,155人という日本最大の海難事故、同夜また、 本町にゆかりの深い岩内町の大火、町の大半を烏有(うゆう)に帰す。幸いに本市本町の被害は少なかったが、警備、防災の 必要を思い知らされた一事であった。

瀬戸内「小豆島」を舞台とした映画『二十四の瞳』が共感を呼び、後年映画化に当たり「小樽運河」付近の一部がロケーション場となった 五味川純平の『人間の条件』が愛読され「国連加盟」の安堵感の中でこの期を終える。

以上、新高島町史178〜179ページより抜粋。