高島の漁業復興
2. 高島の漁業復興

そのころ、我が小樽市高島町は、昭和26年(1951)の地方選挙では田中敏文知事、安達与五郎市長を選出し、 市議会には渡辺善太郎、島本虎三、渡辺徳次郎の3氏を送り、何よりもまず経済の復興による生活の安定に命がけであった。 小樽市も、北海道の第1次5カ年計画に焦点を合わせ、道路と港湾の整備拡充、食糧増産に努力を傾けたが、樺太及び沿海州、朝鮮等の 対岸貿易を失い、更に工場立地の条件にも恵まれず伸び悩んでいた。

その間にあって高島町は、沖合い及び遠洋漁業への転換を志向していたのである。しかし、そのためには漁場の確保、漁業施設はもとより 漁船、漁具の近代化、流通機構の合理化が必須の条件であった。幸いにも昭和27年(1952)に北洋漁業が再開された。 沿岸漁業不振の折から、この機会を逃さず、漁船、漁具の近代化と船員の保安を進め、船団を組み、小樽埠頭に集結、家族と関係者多数の 見送りを受けて出漁4ヶ月、一応の成果を得て無事帰港したものであった。

ちなみに、当時の漁船は、40〜70トン位、装備は無線機、魚群探知機(新造船)で、1隻の建造費は当時の金額で800万〜1500万円(木造船) ということで、かなり無理をしての設備投資でもあった訳である(昭和28年大学卒初任給8,190円の時代)。出漁船名、所有者は下の 表のとおりである。

高島漁船一覧 (昭和28年現在)
船 名 会社・船主 船舶総トン数 船 名 会社・船主 船舶総トン数
第三恵比須丸 本間 保 50.15 第二北海丸 渡辺徳次郎 40.33
第十六神辻丸 小林福一郎 43.90 竜王丸 安藤長吉 59.77
豊 丸 会田貞市 45.99 第八開運丸 開運水産
飯田健一郎
67.77
大吉丸 松田友太郎 49.67 豊竜丸 本間漁業
本間末市
49.79
第八柏丸 渡辺水産
渡辺善太郎
69.55 第五興福丸 八田漁業
八田孝久
58.49
第三永昌丸 吉田徳太郎 59.95 第五善栄丸 高橋政雄 53.39
第三金比羅丸 会田 栄 57.22 第五松栄丸 東洋水産
本間堅市
74.96
第七渡津丸 渡辺漁業部 36.95 第五角輪丸 吉田順之助 59.35
第三千歳丸 大菅喜代松 49.42 第八豊盛丸 斎藤文吉 68.54
第十二千歳丸 小林水産
小林仁八郎
74.31 第七開運丸 本間勇次郎 45.99
第十八千歳丸 小林水産
小林仁八郎
69.36 第八善久丸 能登武男 58.90
第五久豊丸 渡辺玉蔵 62.19 第八善栄丸 山善水産
高橋政雄
69.25
第五開運丸 開運水産
飯田健一郎
49.90 第五三吉丸 会田 広 59.46
第十一松栄丸 高橋正吾 52.95 第三漁運丸 八幡豊信 39.02
第五日新丸 中本彦七 69.70 第二久豊丸 砂田俊雄 40.52
第八三吉丸 東洋水産
金田 広
74.66

関連施設としては、昭和26年(1951)5月隣接手宮3丁目の小樽漁業無線局、昭和23年(1948)5月港町の海上保安庁がある。 前表のように、高島町所有船のみで31隻を数え、その年、昭和28年(1953)の水揚量は280万4,000貫(1万515トン)で 金額にして、1億6,350万円(1隻平均527万円)であった。

高島子ども風土記(発刊:昭和49年)  発刊当時 高島小学校2年 MK様
おじいさんが、昭和27年頃「ジーゼルエンジン」50トンの木の船をつくりました。この船は5月から8月まで、 くしろのほうへ、あきあじとりにいきました。(註:大吉丸)のっている人は15人です。 それから昭和34年に75トンの木の船をつくりました。のる人は18人です。 そして4月から8月までベーリングかいというところへいく船と、さけますをとりにいく船にわかれました。 10月から3月までは、高島のちかくで、すけそう・たらをとります。 1ばんか3ばんどまりで、りょうにでます。えんかいしゅうというところへいくと、1週間いじょうもかえってきません。


以上、新高島町史175〜177ページより抜粋。