| 昭和24〜25年、高島町民の 労力奉仕による高島小学校グランド造成 ↓画像クリックで拡大
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― 小学校グラウンド造成と平山家 ― (平山久雄様より) 現在、高島小学校のグランドになっている西側に1軒の家があり、そこで私は8人兄弟の7番目として昭和4年(1929)に生まれた。 その家は明治16年(1883)生まれの父が、富山県滑川郡西水橋から大正の初めに来樽、大正8年(1919)高島町字本田沢(現高島小学校グラウンド)に移住し、 当初、養豚、養鶏を営む。 木造平屋建て柾ぶきの家の中に素掘りの井戸があり、それは非常に冷たく、量も豊富であった。昭和25年(1950)頃、グラウンドが造成されるまで、 人家は我家1軒であった。グラウンドの北側は牛川が流れており、4世帯程が小作人として荒地を開墾し、春はホーレン草、サヤエンドウ、 トウモロコシ、トマト、大根、馬鈴薯等、四季の野菜を副業として栽培し、日曜日になると家族が総出で鍬で耕す手作業で、今のような 機械力は皆無で、馬耕が専業農家の主流であった。また、耕作地の一部は3月から6月頃まで丸太で魚の干し場が作られ、ニシン、スケソ、 カスベ等が牛川で洗って干されていた。 昭和24年の春、高島小学校の佐々木良輔先生(張碓小学校を最後に退職)が来宅、現在の校舎の建っている敷地の一部とその前が グラウンドで運動会や体育の授業に使用していたのだが、校舎新築計画に伴い、グラウンドが狭くなるので、住宅の移転と 畑の交換(代替は未墾地)についての話しを持って来た。 更に市会議員等地元有力者等の度重なる協力依頼に、ついに父母は30数年をかけて石を掘り、雑木を切って開墾した荒れ地が、 今では黒土の盛り上がる見事な畑を手放すことの淋しさ、生活の基盤を支えて来ただけに、公のためとは言えそのくやしさ、 父母と共に歩んだ歴史のある住宅、いやだと拒否すればそれで済むのに。 しかし半面8人の子どもがお世話になった義理のある学校、町の将来のため協力しよう。我家が犠牲になれば解決するのだ。 代替地の原野を又初めから開墾しなければならない苦労はあるが辛抱しようと決心したのである。 そして28年(1953)には新校舎と小樽一広いグラウンドが造成されたのである。更に48年(1973)、開校90周年記念に、 西側に町民の経済的、肉体的協力によって遊具の設置された小グラウンドも造成されたのである。 |
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・来館者様(小樽市高島出身)からの情報 小学校のグランド用地を提供してくれた方の記事を読み、 造成したときの事を思い出しました。 土地全体を碁盤の目のように掘り起こし、 その溝に、近くの山から生徒が一列に並んで、 手渡しした石を埋め込んだものです。 従って、非常に水はけの良いグランドになったようです。 情報提供:昭和15年 高島生まれ 横浜在住 佐喜利夫様 【貴重な情報をお寄せ下さいましてありがとうございました。】 |