小樽市との合併
2. 小樽市との合併

小樽市は慶応元年、漁場請負を廃し村並となった時点を開基の年としているが、 わが高島町もまたそれより4年おくれの明治2年(1869)に請負制を廃止しているので、 村落としての発生は、ほぼ同時代と見てよかろう。

それ以来、妙見川(〜オコバチ川)を境とする隣接地域として、小樽外郡役所管轄の下、経済圏を共にして相互扶助の実を挙げて来たが、 明治32年(1899)小樽が区制実施に当たり、高島郡の六町一字を傘下におさめて自治体となれば、 高島もまた明治35年(1902)2級町村高島村となる。

それ以来、二十余年の歳月の中で、両者を隔てたポントマリの険は除去されて軌道、バス路線となり、 山手方面も又、本田沢−赤岩の発展により接続。加えるに小樽、高島両者の港湾築設についての意見は全く一致し、 そのころ(昭和10年)から、両者の合併問題が起こる

その後、小樽市において理事者の交替があったりして、 時間的に多少の遅滞はあったが、昭和13年(1938)4月、市、町代表議員一堂に会して隔意なく意見交換、 それぞれの所見と要望等を述べ合って相互理解に資する所が多かった。

これに基づき昭和14年(1939)7月、高島町議会はこの件を上程、 小樽市側の容認した諾条件なども含めて慎重審議の上、満場一致をもって小樽市合併を議決した。 この間、小樽もまた、所要の行政事務を円滑に遂行し、こうして一切の手続きを終了して、

小樽市合併が実現したのは、昭和15年(1940)4月であった。


当時の高島町は町長竹島武次郎、町会議員小田忠吉・亀山三代吉・大江鹿蔵・渡辺藤松・富樫松之助・佐藤寅吉・鮒田宅次郎・ 小畑文吉・松田重蔵・青山民治・本問徳松・内山健作・上前吉太郎・播摩三郎・茨木与八郎・藤本周一・飯田三吉・柴田百合蔵の 高島・祝津・赤岩各町代表を含む一七名であった。

それ以来、45年の年月を経た今日、当時、合併間題の衝に当たったこれらの方々は全部物故されている。 その功績を偲ぶと共にご冥福を祈る。

以上、新高島町史160〜161ページより抜粋。