高島漁港築設陳情
4. 高島漁港築設陳情

■高島町漁港築設に就いての『意見書』の概要は、まず高島町の現状の説明から始まる。

― 高島町の現状 ―

高島町は小樽市と隣り合って続き、戸数は1639戸、人口は8653人の町である。
その面積は半平方里(8.35平方キロメートル)で平らな土地は少なく農耕に適せず、生活物資の流通は小樽市の商業圏内にある。 したがって、商工業は微々たるもので盛んではない。 しかし、比較的長い海岸線(3里1町、11.8キロメートル)があり、漁業は最重要な生業であって、漁獲に従事する漁夫、 漁獲物の販売に携わる仲買人及び鮮魚の行商、魚肥(魚類を原料とした肥料)製造等を営む戸数人口が大部分を占めている。

漁業については、以前華やかであったニシン漁業は年々衰え、沖合漁業が振興してきている。 現に発動機船漁業は当町産業のおおもととして、それの盛衰は実に町の運命を左右することになる。

町内は、高島、祝津及び本田沢の三村落からなり、その村落戸数は、 昭和9年(1934)末現在で、高島(920戸)祝津(354戸)本田沢(365戸)計(1639戸)である。

高島は主要村落で、全戸数の5割6分を占め、沖合漁業を主として、札幌、小樽両市に対する鮮魚の供給地である。 祝津は高島岬に接した純漁村で、春のニシンと冬のスケソウ漁業を主としている。 本田沢は、小樽市との連携を担当して運搬業、日雇及び魚肥製造業等が多い。

しかるに(高島)港内浅く、かつしばしば風波を直接受けるので、漁船の出入り、繋留に安全を欠き、 現に陸岸に繋留中の発動機漁船の船体破壊等の実例があり、当業者の損失は莫大で、 沖合漁業根拠地としてまことに恐しく心配なことである。

その3年前の昭和7年(1932)に小樽市に船籍をもっている発動機漁船は、合同による経営合理化に入る第一歩として、 その根拠地を高島に移転してはという意見が生まれ、当高島町もまたこれを喜び賛成したが、 その後この案が挫け、ついに実現しなかったのは、 (高島)港内が不整備で風波が荒く、その上碇繋に必要な深さを持つ区域が狭小であったためで、返す返すも残念な次第である。

しかしながら高島海岸は小樽湾内にあり、茅柴岬が北方に突き出ているため、風波は一般外海に比べて幾分穏やかなことと、 前面に弁天島があり、なお、小規模ながら漁業組合の作った島堤(63メートル)があり、 また小樽漁港株式会社埋立地北端から突出した防波堤があるので 今後安全な漁港を設計する場合も比較的工費が少額で完成し得るものと思う。


■次に小樽市・小樽港の将来からも、高島漁港施設が必須であることを述べる。

― 小樽市との関係 ―

高島町は小樽市の北方に接続した漁業地で、小樽湾の西岸に位置を占め、全町小樽市都市計画地域内にあり、 小樽駅から高島町役場までの距離は僅か一里(3.9キロ)に過ぎず、極めて密接な関係にある。 通信関係で言えば郵便物などは全町小樽郵便局の配達区域であるし、町と小樽市問の電話は無料である。 その他各般に渉ってほとんど市・町の区別を見ないほどである。 また鉄道(貨車)が敷設されていて鮮魚その他の生産物の移出も小樽市と変わるところがない。

・小樽港の副港たる高島漁港

高島漁港を築設しようとする高島町地元海面は小樽港界線内に在るばかりでなく同港北防波堤に接続し、 自然に小樽港の副港たるべき位置を占めている。

ところで小樽港は近く数個の埠頭を築設し、港内埋立をなす計画が着々と進み、それが実現したならば貿易はいよいよ盛んになり、 商港小樽の発展は目を見張るほどのものになるだろう。 そうなった時、現在のように漫然と漁船の出入り繋留を認め、統制を欠いたなら商船の運行を妨げ、 ひいては思いもかけぬ海難事故が続出することが予想されるので、そんなことにならぬためにも副港的漁港の必要なことは論を待たない。 果たせるかな、このたびの北海道第二拓殖計画改訂に際し、 小樽市から提出した意見書の中で高島漁港修築について次のようにあげている。

(前略)一、高島漁港修築に関する件   小樽港ハ本道二於ケル最重要商港トシテ完成ノ日モ目前二迫リツツアルガ之等施設ノ進捗二伴ヒ従来小樽港二出入セル漁船ハ 漸次錨泊地点ヲ失フモノニ付自然高島漁港二移動セザルベカラズ然ルニ高島漁港ハ茅柴岬ノ掩護二依リ北西風二依ル激浪ハ 防止ソシ得ルモ北東及南東風二起因スル波浪ノ侵入甚シキヲ以テ之二適当ノ施設ヲ行フハ本道水産業発達ノ為メ 忽緒二付スベカラザルモノト信ズ拓殖計画改訂二際シ特ニ本計画ヲ樹立セラレンコトヲ望ム(以下略)


■次に、町が希望する最小限度の計画を明記し、略図(下の図)を添えて説明する。

― 築設を希望する最小限度の設計概要 ―

高島漁港は高島町地元海面弁天島を中心とし
  1. 弁天島を起点とし南方(小樽側)に陸岸に大体並行して約200間(約360メートル)の防波堤を築設すること 〔その南端に於いて陸岸との距離約195間(350メートル)とする〕
  2. 弁天島から小樽漁業株式会社埋立地北端突堤間約40問(73メートル)の防波堤を築設すること。 しかし、外海との問を全部閉じないで小漁船の出入口をつくる。この工費概算60万円である。
そしてこの望ましい築設を町が自カでなし得たい事情を述べ、 最後に施設実現の暁に予想される町及び小榑市に及ぼす効果に触れた適切な「意見書」となっている。 これは昭和10年2月13日、高島町民大会で満場一致採択され、直ちに之を北海道知事に提出し、その承認を得て正規の陳情書を作製、 3月12日町長外有志連署を以って貴衆院に提出し、同月25日第六十七議会衆議院で採択された。



漁港築設二付陳情書(原文ノママ)

要旨
高島郡高島町地先二国費ヲ以ツテ漁港築設施行アラソコトヲ請フ

理由

一、我高島町ハ小樽市ト隣接シ現二同市都市計区画域内二属シテ唇歯、 輔車ノ関係アリ彼ノ民謡追分二依リ漁業地トシテ人ロニ膾炙(イシャ=広く知れわたる)セル所ニシテ 住民ハ漁業ヲ唯一ノ生命ト為スモ港湾ハ概シテ風波ニ暴露シ且海底浅クシテ多数漁船ヲ収容スルコト能ハザルノミナラズ 漁船碇繋上安全ヲ欠キ以テ産業ノ発達ヲ阻碍シ町勢ヲ萎縮沈滞セシム

一、今回漁港ヲ築設セントスル高島地先ハ小樽港々界線内ナルノミナラズ同港北防波堤外僅二数町ニ過ギズ 小樽港ニ対スル副港的漁港トシテ最恰好ノ位置ヲ占ム

一、然ルニ小樽市ニ於テハ同港防波堤内部二近ク数個ノ埠頭ヲ突出シ更ニ港内埋立ヲ為スノ計画着々進ミ 其ノ実現ノ暁ハ西比利亜満州国北鮮等トノ日本海ヲ舞台トスル貿易愈々隆昌ヲ見随ッテ大船巨舶ノ出入 頻繁ヲ極ムヘキハ論ヲマタズ欺ル趨勢二於テ現在ノ如ク漫然漁船ノ出入繋留ヲ認メテ統制ヲ欠カンカ船舶ノ運行ヲ妨ケテハ 不測ノ海難事故ヲ頻出スヘキハ想像ニ難カラズシテ副港的漁港ノ必要ナルコト賛言ヲ要セズ

一、高島町地先ハ前項記述ノ如ク概シテ風波ニ暴露スルトハ謂へ前面二弁天島(大小二個)ヲ控へ高島郡漁業組合経営ノ一字形島堤横ハリ 北方埋立地ヨリ短小ナリト雖モ半島堤ノ突出スルアリ漁港トシテ基礎的状態較々備ハリ加フルニ小樽港内ニ位スルヲ以テ 一般外海ニ比シ風波強烈ナラズ従テ比較的工費少クシテ安全ナル漁港ヲ完成シ得ヘク思料セラル 就テハ国買多端ノ折柄トハ存シ侯へ共九千町民ノ生業維持振興ノ為将又小樽港ノ副港トシテ最有意ナル 高島漁港ノ築設ヲ急速施エセラルル様御高配ヲ賜ハリ度此段奉悃願侯也

昭和十年四月二十三日
高島郡高島町大字高島町四十七番地
竹島 武次郎 外五百五十三名別紙ノ通
北海道長官 佐上 信一 殿


これは採択されたものの、軍傭最優先の中で戦前戦中はついに実現しなかった。 戦後、昭和29年(1954)〜30年(1955)に始まる第一期工事、それより期を重ねて昭和47年(1972)、 高島漁港南防波堤竣功、公設水産御売市場開設、築設運動開始以来37年にして当初の計画が実現したことになる。 工事実施歴年表は別図の通りだが、関係各位に深く敬意を表したい。

小樽港の埠頭計画は一部実施となり、昭和7年(1932)造成の堺町岸壁が完成し、2,000トン級の船3隻が接岸可能になり、 次いで第二期拓殖計画により第一から第三までの埠頭が計画され、第一は昭和12年完工したが、第二、第三は戦後となる。 しかし、こうした港湾行政推進に当たって、常に小樽市と協議し合ったことが機縁となって、 このころから合併問題が進捗するようになったのである。

以上、新高島町史150〜154ページより抜粋。