明治終期高島村の発展
6. 明治終期高島村の発展
明治終期に高島に移住した人々は、新潟県から本間銅五郎氏、渡辺姓は兼松氏・善吉氏、平野姓は戸市氏・鹿蔵氏・熊吉氏、
山田姓は清蔵氏・長蔵氏・清吉氏、他には金田文平氏、信田由蔵氏、安藤駒治氏、中村三代造氏、宮崎伴三郎氏、佐々木三代之助氏、
本田次郎太氏、北上亀吉氏、吉田シヅ氏。
秋田県から兵藤新吉氏、須田久吉氏、山形県から佐藤多作氏、柏三郎氏、宮城県から鈴木義雄氏、香川県から小島兼松氏、
出身地不明であるが中村福太郎氏、以上である。
郵便局は既に、明治18年(1885)祝津郵便局弁郵便受取所が設置されたのが始めというが、正規には明治32年(1899)10月。
高島は1年遅れの33年(1900)8月開設と記録されている。
(郵便・為替・貯金事務取扱。電信は明治41年より)
商店や運搬業者、それに大工・鍛冶等の職人も当然住みついたことであろう。
道立水産試験所については昭和4年の町勢要覧には、明治29年(1896)設立と記録されている。
町役場は33年(1900)7月に始まった。
(※1)寺院は浄応寺高島説教所が明治37年(1904)9月、
(※2)正林寺が同年(1904)12月、
(※3)新正寺が翌年38年(1905)10月に説教所として開設された。
ちなみに光雲寺(明治前期8にて紹介)は明治10年代、
高台寺(明治中期5にて紹介)は同27年(1894)である。
道の指導により高島信用購買販売組合が発足したのは明治42年(1909)であり、当初加入者は73名、預貯金、資金貸し出し、
漁獲物販売、必要物資の購買等、漁業経済全般にわたる漁民の共同機関で、漁業の振興発展に資するところが多かった。
高島巡査駐在所は明治41年6月(1908)に設置。
小樽漁業株式会社が資本金40万円をもって明治44年(1911)8月設立され、
その後、沿岸の整備、埋め立て、防波堤の築設等に活躍することになる。
わが高島小学校も、明治17年(1884)創始以来24年間、当初24名の児童数も100を超えたので、
明治32年(1899)11月高島村125番地(現高島会館、元高島支所)に校舎(105坪)新築。
112名の児童を2学級に編成し、乙村校長以下3名の教師で当たり、翌33年(1900)には校庭で第1回運動会を開催している。
この年の高島村・祝津村合わせての人口は4,968人である。
その後年、平均25人の児童増に対し、大正10年までの間に8教室の増築を行い、
校庭の余地が無く移転の必要に迫られるのである。この間23年、乙村校長は変わらなかった。
今に至るまで在職年月の最高を記録している。
明治36年(1903)は祝津校と連合運動会開催、この年より札幌区へ修学旅行も行っている。
しかし、修業年限が4年のため、斉藤文吉氏等の向学の士は、手宮の高等科に2年、その後、稲穂の高等科に更に2年通学し学習している。
ちなみに、この前年の35年(1902)庁立小樽中学校が開校(現在の潮陵高校の前身)している。
小学校は明治42年(1909)より修業年限が6年となり、前年増築した屋内体育館で第1回学芸会開催
「我は海の子白浪のさわぐいそべの松原に、煙たなびくとまやこそ、我がなつかしき住家なれ」と歌い
「いで大船を乗り出して我は拾わん海の富」と公海自由の原則を謳歌する。
しかし、高島小学校卒業生は、漁業のみ従事したものでないことはもちろんで、その性格・才能に応じ、あるいは小樽商工界に丁稚、
徒弟見習奉公等、その他、道内・本州都市に出向し、その地で事業を営み、成功した人々も多かった。
一方、また中・高等教育機関の充実−庁立小樽中学(明治35年)、水産学校(明治38年、水産高校の前身)、
庁立小樽女学校(明治39年、桜陽高校の前身)、
小樽高商(明治44年、工業高校の前身)、庁立小樽商業(大正2年、商業高校の前身)、ほか私立中等学校−があり、
併せて、鉄道逓信等の短期実業教育機関が設けられ、それに進学する青少年も多かった。
昭和42年放映されたNHKホ−ムドラマ「旅路」に見られるように国鉄ブ−ムの時代でもあったからである。
以上、新高島町史121〜122ページより抜粋。
解説
(※1)浄応寺高島説教所
高島山浄応寺高島説教所
- 住所:小樽市高島2丁目
- 開設:明治37年(1904)9月
- 公認:明治44年(1911)9月
明治37年(1904)9月に浄応寺23日講を創設、これに伴い高島に説教所を開設する。土地は当時、右近商事所有のものを借用。
明治44年(1911)9月浄応寺境内地として公認される。
第二次世界大戦、上前幸太郎氏が土地を購入して浄応寺に寄付する。
昭和20年代、南高島青年団の集会所として利用されていた。
昭和50年(1975)4月、その当時の住職、百済清丸の逝去により布教活動を停止する。
昭和58年(1983)11月、建物の老巧化により、解体除去される。
(※2)正林寺
梅林山正林寺
- 住所:小樽市高島2丁目
- 宗派:曹洞宗
- 本尊:釈迦牟尼仏 ・脇仏 文殊菩薩 普賢菩薩
- 開教:明治37年(1904)12月7日
- 寺号公称:明治40年10月24日
明治37年8月より布教に着手、同年12月7日説教所設立許可を受け、檀信徒118名、信徒9名に達したので寺称を願いで、
明治40年10月24日付けで増築と同時に公称許可された。
- 開山歴代住職
- 開山:萩野拙童大和尚
- 1世:横山宣範
- 2世:粟野智玉
- 3世:小泉悦道
- 4世:小泉闢道
- 5世:小泉裕道
- 行事
- 大般若祈祷会:1月16日、高島の各持船の海上安全、大漁満足と乗組員の船中無難を祈願
- 春彼岸法会:3月春分の日
- 西国33ヶ所観音巡礼:観音様の慈悲や偉大な功績、御利益が盛んに信仰されるにつれて大正2年66名の観音講や篤信者の寄付により
高さ3尺の33体の観音石像が建立され、同3年この観音像は境内と手宮の境界や祝津との境界の道端に小さなお堂を建てて安置した。
これは道行く人々に拝まれ、特に6月1日の観音山かけには老若男女が御詠歌を唱えながら一体一体に巡礼した。
現在は昭和49年に全体を境内に集め巡礼を毎年続けている。
- 高島延命地蔵菩薩大祭:7月23日
- 孟欄盆施餓鬼供養:8月18日
- 秋彼岸法会:9月秋分の日
(※3)新正寺
観潮山新正寺
- 住所:小樽市高島2丁目
- 宗派:真言宗智山派
- 本尊:大日如来 ・脇仏 弘法大師 興教大師
- 開教:明治38年(1905)10月6日
- 寺号公称:昭和6年12月4日
- 開山歴代住職
- 開基第一世:新宮鉄牛
- 第2世:新宮文応
- 第3世:新宮弘道
- 行事
- 檀信徒各家の安全祈願、大般若転続、祈祷法要:1月16日
- 春季彼岸中日法要(施餓鬼法要):3月
- 子育地蔵尊祭(水子供養):6月24日
- 孟欄盆法要:8月16日
- 秋季彼岸中日法要(施餓鬼法要):9月
新宮鉄牛は明治38年10月6日に智山派高島教会所を創立し、即日担当教師に任命される。明治39年6月教会所用建造物を新築。
大正6年3月。現所在地に1500坪を購入し、同9年に境内地を整備する。
以上、新高島町史277〜283ページより抜粋。