小樽区制実施と高島村の成立
3. 小樽区制実施と高島村の成立
明治32年(1899)10月、小樽は札幌・函館と共に区制を実施、小樽郡、高島郡下38ヶ町村を統合して小樽区とする。
高島郡中小樽区に編入したのは色内、稲穂、手宮、手宮裡、南浜、北浜の6町及び高島村字厩(ウマヤ)の1字(アザ)である。
これは当時、築港計画と相即的に考えたものと思われる。かくて、その年、開港場に指定され、国際貿易港となり、以後、内外的貿易は
逐年盛んになる。
明治33年(1900)本道は1級町村制施行、当時、後志では、余市、岩内、寿都のみで、旭川、岩見沢、釧路、根室、室蘭も、
まだ1級町村だったのである。
ここ高島は当時、小樽支庁(明治43年から後志支庁)に属し、高島郡高島村と称し、祝津村と併せて戸長役場で行政事務を
進めていたが、明治35年(1902)2級町村制が施行され、古平、美国、磯谷、朝里、石狩等と共に2級町村となり
小浅正男―森谷秀一郎村長の下、一自治体となる。
西川漁場廃止後、高島沿岸に建場を持つ網元は、寺田本家・別家、兵藤、村井、南等で、
いわゆる(※1)「成金町」を形成したものであったが、
一般漁家は、ニシンの来遊が年ごとに不同なこと、一方では漁期の短いこと等から刺網を主とする家族労働を主とし、漁期以外は比較的
浅い漁場でカレイの(※2)手繰(てぐり)、あるいは、そのころ豊富だったホタテ貝漁を行ったりして資本の蓄積につとめていた。
以上、新高島町史118〜119ページより抜粋。
解説
(※1)「成金町」
高島旧地域名のひとつで、現在のサンマートかめやま高島(亀山商店)裏から山に通じる3本の道路のうち、最も小樽よりの道に
面した一帯を、成金町と呼んでいた。
ニシン漁から大型底曳漁業に切り替え、収入の多い漁家が、次々と豪華な屋敷を構えたので、このように呼ばれたという。
以上、新高島町史317ページより引用。
(※2)手繰(てぐり)
手繰り網漁法のことで、いくつかの底引き網漁法の一つ。袋網に引き綱をつけ、海底を引き回して漁獲する方法。