殖産興業
5. 殖産興業

国を挙げて日清戦争(明治27年=1894)を戦う中で、その年、小樽新聞も日刊紙として発刊され、戦況もほぼ正確に報道され、 高島漁民の意気も上がった。こうした情勢下、北海道漁業は明治24年(1891)、全国水産高の中の26.9%、水産(加工)製造高41.5%を占め、 その位置は高く、その年、小樽高島両郡漁業組合結成、組合長に山田吉兵衛(後の小樽区長)を推し、29年(1896)には小樽外6郡 (高島・忍路・余市・古平・美国・積丹)の水産奨励会を開催する等、漁労及び製造の改善が奨められた。

その他、初め海産乾場利用の農産も、移民増加に追われ山腹の緩斜面、あるいは急斜面を段状にして 大根、馬鈴薯、その他の野菜の植付けとなり、慶応2年(1866)の大火により禿山(はげやま)化した官有山にも、 道庁吏員によって、明治22年(1889)赤岩山に橡(くぬぎ:実はドングリ)1万4千株、 23年(1890)には高島官林に落葉松5千株、祝津に橡1万5千株、 28年(1895)高島祝津両官林に、落葉、杉、檜(ひのき)、 樺(かば、かんば)、栗、漆(うるし)など10万株を栽植したとの記録がある。

なお寺院は、明治18年(1885)祝津に龍泉寺、続いて27年(1894)高島に(※1)曹洞宗説教所(現在の高台寺)が開教。 28年(1895)には祝津巡査駐在所、そして防火をはじめ各種防災組織も漸次整備されて、29年(1896)から徴兵令も実施されて本土並 扱いに近づく。

ただ、遺憾だったのは元高島運上屋西川小樽支店(堺町)が明治28年(1895)7月火災により全焼、整理のため高島場所を売却し、 31年(1898)忍路に支店を移す。高島の邸宅は他人に譲り、料亭「仙屋」として経営されるようになったことである。

以上、新高島町史112〜113ページより抜粋。
解説

(※1)曹洞宗説教所(現在の高台寺)

鶴齢山高台寺
  1. 住所:小樽市高島3丁目
  2. 宗派:曹洞宗
  3. 本尊:釈迦牟尼仏  ・脇仏 文殊菩薩 普賢菩薩 三十三観音像
  4. 開教:明治27年(1894)5月25日
  5. 寺号公称:昭和17年6月18日
  6. 宗教法人設立:昭和28年7月28日
  7. 開山歴代住職
昔、当寺の所在地にはアイヌ墓地があり、現在の通称「山の上」一帯の麓に和人が移住してからは火葬場ができ、寺らしきものが建てられた。 これが高台寺の前進である。その後、説教所を設立し住職、檀家の大願である寺号公称を北海道長官黒田清隆に申請したが却下される。 大正8年の大火によって類焼する。

昭和10年、再び同地に本堂を建立、17年に宿願の寺号公称を高台寺として認可される。

以上、新高島町史281〜282ページより抜粋。