| この頃の高島郡のニシン漁獲高と売上高 註:生ニシン1石=200貫=750kg=0.75t=生ニシン(中型)で4000尾。 見欠ニシンでは、その5分の1の1石150kgとなる。 |
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| 年度 | ニシン漁獲高 | 売上高 | 備考 |
| 明治20年(1887) | 16,622石(12,466.5t) | 94,256円 | 並漁(1石当り5.7円) |
| 明治21年(1888) | 36,076石(27,057.0t) | 174,541円 | 大漁(1石当り5.7円) |
| 明治22年(1889) | 21,634石(16,225.5t) | 118,113円 | 豊漁(1石当り5.7円) |
| 明治23年(1890) | 14,627石(10,970.3t) | 95,793円 | 並漁(1石当り5.7円) |
| 明治24年(1891) | 25,008石(18,756.0t) | 172,763円 | 大漁(1石当り5.7円) | 明治25年(1892) | 7,981石 ( 5,985.7t) | 59,911円 | 不漁(1石当り5.7円) |
| 明治26年(1893) | 13,651石(10,238.2t) | 93,819円 | 並漁(1石当り5.7円) |
| 明治27年(1894) | 19,978石(14,983.5t) | 135,601円 | 大漁(1石当り6.8円) |
| 明治28年(1895) | 24,044石(18,033.0t) | 168,474円 | 大漁(1石当り7.0円) |
| 明治20年代目無泊漁付近のニシン刺網漁の 様子(町史110ページより) ※目無泊=現在の小樽水族館海獣コーナーのある 入り江 ↓画像クリックで拡大 |
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高島子ども風土記(発刊:昭和49年) 発刊当時 高島小学校5年 IK様 親方と、やん衆 青森、秋田、新潟などから「ニシン」のとれる3月ごろに、祝津、高島あるいは岩内の親方のところへ「やん衆」といわれる出かせぎの 人たちがやってきました。親方のところには、船頭がいました。その船頭の中でも、大船頭が一番けんりょくがありました。その船頭の めいれいによって働きました。― 中略 ― やん衆は春働いて、1年間は生活できるお金をもって故郷に帰る人もいましたし、次の漁場へ わたる人や、お金を全部つかってしまい、親方からおこづかいをもらって次の漁場へいったりする人もいました。その当時、 りょうしの親方は、ニシン漁ですごくもうけていました。住まいは、祝津にある「ニシン御殿」のようなすごくりっぱな家にすんで いました。そのなごりの家がいまでも2、3軒のこっています。― 後略 ― |
| 西川缶詰所の版画ポスター(町史112ページより) ↓画像クリックで拡大 |
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高島子ども風土記(発刊:昭和49年) 発刊当時 高島小学校5年 HT様 ニシン場の親方のお正月 高島の「ひょうどういちのじょう」さんのお正月は、親方がはおりはかまだったそうです。きっと親方はどうどうたる姿でいたと思います。 そして近くの神社でお参りをしてから、わきの井戸から手おけに(※2)若水をいただいたそうです。家族やそこで働いている 漁夫一同が、朱ぬりのおぜんの前にすわり、主人から三つ重ねの盃でお酒をいただき、正月料理にはしをつけたそうです。三つ重ねの盃は、 主人が今年もいっしょうけんめい働いてくださいといってやるお酒だったそうです。親方の後ろに大びょうぶ、床の間には天照大神の かけじく、左右には、エビス、ダイコクや七福神の絵がかけられたそうです。― 後略 ― |