道開拓と小樽の発展
2. 道開拓と小樽の発展
北海道は、明治19年(1886)、札幌・箱館・根室の3県を廃止して北海道庁を設置、北海道土地払い下げ規則を公布して本格的に
殖民開拓に取り組む。この時代の特色は、内陸部道路の開削で、樺戸集治監、その他の囚人を使って上川道路、北見道路等、いま鉄道の
敷設されている主要道路を造成したのである。そのため、明治20年以降は、空知、上川地方を中心に移民が急増し、同18年(1885)に
27万6千人であった人口が、同28年(1895)67万8千人と増加、この年代末には農業生産額が水産生産額にほぼ匹敵するようになる。
移民の誘致と、本道内部の開発や陸・海運の進展につれて、小樽の物資移出入は増加の一途をたどる。明治22年(1889)7月、小樽は特別
輸出港となる。膨れ上がる経済の伸張につれて、新開地が必要となり、海岸の埋立請願が盛んになり、南・北の浜町や砂崎町などの
造成地が続くようになる。これにつれて船入澗の設置も必要となり、入船・港・南浜町などの船入澗工事が進められる。
そして埋立造成地には、北陸海運の巨商・大屋、広海、右近などの支店が建ち、石造り倉庫も明治20年代後半から同30年代にかけて
建ち並ぶのである。
以上、新高島町史106〜108ページより抜粋。