[提供:余市教育委員会様]
一時貯蔵

汲船が接岸すると、ニシンはモッコという箱型の背負具を用いてローカまで運び込まれました。
ローカが満ちると、ナツボという竹編みのスダレで囲まれた場所に貯蔵場所を移しました。

モッコ背負の人達は座って飯を食べる時間がなく、モッコを背負ったまま、歩きながらゴマつきのにぎり飯を食べました。
にぎり飯は桶などに入れて浜に置きました。

粒ニシン
生のニシンは粒ニシンと呼ばれ、魚箱に入れ、梱包して出荷されました。
大正時代には貨車輸送も発達し、鉄道によって道内各地に出荷されました。
また、沖に粒買船が待機し、海上で売買される方法もありました。

昭和の始めには生ニシンの魚箱は10貫目(約38Kg)、後には8貫目となり、規格が定められていました。

右の画像はモッコから粒用魚箱へ移している様子です。
魚箱はフタをして縄掛けをします。背後に見えるのは運搬用の馬車です。

左の画像は粒ニシンの出荷の様子です。魚箱を積んだ馬車で混雑する余市駅です。
粒ニシンは沖揚期間に、その都度、出荷されました。



以上、イラスト・白黒画像・説明文は「余市水産博物館」様が編集・作成しました「漁労具と生活用品」、
そして「第27回特別展 展示解説書:鯡が群来たころ」より抜粋しました。