▽手宮高架桟橋解体に関する新聞記事▽
提供:小樽交通記念館様

・記事の内容
北海道新聞 昭和60年8月4日発行

小樽港での石炭荷役が途絶えて今年で5年目。26,000平方メートルもある民間専用ヤードは放置されてままとなっており、 今後のメドも立っていない。市は用地を買収し隣接する道鉄道記念館を道交通記念館に拡充したい考えだが、 肝心の事業主である道がこの構想に本腰を入れていないだけに、当分は宙に浮いたままの状態が続きそうだ。

同港の石炭取扱量は最盛期の(昭和)42年、221万9千トンに達し、全取扱量の44%を占めていた。しかし、エネルギー源が 石炭から石油に代わり、同港での石炭積み出しも年々減少、ついに(昭和)56年からは打ち切りとなった。

このため、荷役を一手に行っていた北海道石炭荷役は手宮1-4、会社も小樽から札幌へと撤退した。6,000トン級の船が1隻係船できる 岸壁や貯炭施設などは現在もそのままとなっている。

市港湾部は岸壁沿いに幹線臨港道路を建設したいと考えだが、ルートはまだ決まっておらず、岸壁の使用方法についても保留したまま。 というのは、石炭ヤードを買い上げて道交通記念館を建設する運動が市や小樽商工会議所を中心に起きているため。 西隣の道鉄道記念館を鉄道ばかりでなく、陸、海、空の総合交通記念館に拡充しようとする計画で、道に陳情攻勢を展開している。

事業主体となる道は昨年度初めて調査費を計上したが、本年度も同じ名目の予算しかつかず、しばらくは実施に踏み切れない状況だ。 一方、北海道石炭荷役は「市から記念館構想が本決まりになった際にはよろしくというあいさつがあったが、 会社としてはまだ何も具体的に決めていない」と話している。


・記事の内容
北海道新聞 昭和60年11月20日発行

小樽港から石炭を積み出していた「コールピア」の象徴である手宮の陸上高架桟橋2本が、(昭和60年)12月早々にも解体される。 (昭和)55年1月に石炭積み出しが終了するまで使われていたが、その後、放置され、危険な状態となったため。 市民からは解体を惜しむ声が上がっている。

所有者の北海道石炭荷役(高橋留蔵社長)によると、この桟橋は、手宮線の先から岸壁付近まで延長各約200メートル、高さ約6メートルある。 その先、海上に石炭船積み機械2基が残っている。手宮には明治13年(1880)に石炭専用桟橋が造られ、同44年には世界最大級といわれた 長さ392メートル、高さ18.6メートルの海上桟橋が完成するなどの変遷をたどり、現在の鉄筋コンクリート製桟橋は、昭和26年ごろ建てられた。 道内のヤマから石炭を積んできた貨車を1回7両ずつ桟橋に上げ、貨車の下部を開けて、石炭を桟橋下の穴(ホッパー、深さ2.2メートル)に 落とし、底部のベルトコンベヤーで船積み機械へ運んでいた。

このホッパーは120個も開口したまま残っており、万一、子供でも落ちては危険なほか、コンクリート部分の老巧化も進んでいる。 11月末までに国鉄が同桟橋上のレールを撤去次第、同社が約1千万円かけて桟橋2本と変電所、修理作業所の計2棟を取り壊す。

これに対し、手宮線再利用を進めている「活かそう手宮線連合会」の伊藤一朗事務局長らは19日、深山雄造・市教委社会教育部長に 同桟橋保存を要請するよう申し入れた。しかし、同部長は「民間企業が危険だから壊すという以上、やむをえない」と返答した。

なお、同社は、解体後の跡地利用について「小樽市から総合交通記念館の用地にしたいという話を聞いている以外は、 現段階では特に考えていない」としている。


・記事の内容
北海道新聞 昭和60年12月11日発行

小樽港から道内の石炭を積み出していた象徴ともいえる小樽市手宮の陸上高架桟橋の解体作業が(昭和60年12月)10日から始まっている。

桟橋は、国鉄手宮線の先から岸壁付近まで延長約200メートル、高さ約6メートルのものが2本ある。 手宮には明治13年(1880)に石炭専用桟橋が造られて以来、石炭積み出し施設が次々に建設され、現在の鉄筋コンクリート製桟橋は 昭和26年ごろ建てられた。しかし、同55年1月に石炭積み出しが廃止して以後、放置されており、老巧化して危険なため取り壊される ことになった。

所有者の北海道石炭荷役が委託した業者がブレーカーという重機で桟橋のコンクリート部分に振動を加えて解体する作業を開始。 さらに、アセチレンガスで鉄筋部分を切断していった。解体費は約1千万円で、12月末までには栄光の陸上桟橋が2本とも姿を消す。